2014年5月18日日曜日

地底の饗宴

 〈夢見〉は瞑想用のアイソレーション・タンクから這い出すと、本部直通の通話器を手に取った。
「はい、こちら本部」と〈風水〉が応答した。
「夢を見ました……予知夢です……大変なことに、早く対応を……」〈夢見〉は言った。
 長時間の瞑想により精神力を消耗して息もたえだえだった。
「しっかりするんだ〈夢見〉。何を見たのか報告しろ」
「都内……四ヶ所で、無差別殺人が……」
「無差別殺人だって! で、場所は?」
「よく聞いて……新宿歌舞伎町、女が刃物をふりまわす……東京ドーム付近、金属バットをもった男……お台場海浜公園、猟銃の乱射……それから、江東区南砂では木造アパートの密集地で放火……早く、時間がない……」
 やっとの思いでそれだけ告げると〈夢見〉は気絶した。
 国際組織オリオンは、ただちに所轄の各警察署に緊急警戒を要請した。

 だが、その時すでに事件は動き始めていた。
 午後三時三十分。文京区の東京ドーム前には、ナイターの観客が集まり始めていた。
 そこへ、阪神タイガースの応援ハッピを着て、手に金属バットを持った目つきの怪しい男があらわれた。男はわけの判らない叫び声を上げると、金属バットを振り上げ、入場を待つ人々の列に殴りかかった。
 しかしそこにいたのはジャイアンツ・ファンのグループで、すぐに連携して男を取り押さえたため大事には至らず、数名が軽い打撲傷を負っただけで済んだ。
 午後三時四十四分。新宿歌舞伎町では、いっけん地味で真面目そうなOLがうつろな目をしてとぼとぼと歩いていた。土曜の午後とあって人通りは多い。流れに逆らうように歩く彼女を、歩行者は邪魔そうによけていく。
 やがて彼女は立ち止まった。そしてハンドバッグから出刃包丁をとりだすと、いきなり目の前にいたアベックの女を刺した。
 さらに一緒にいた男や周囲の通行人につぎつぎに斬りかかった。
 警官が駆けつけるまでに五人が重軽傷を負った。最初に刺された女は重体だった。
 午後三時五十一分。お台場海浜公園の植え込みに潜んでいた男が猟銃を発砲し始めた。行楽客でにぎわっていた現場はたちまちパニックに陥った。
 すでに警戒を始めていた警官隊との間で激しい銃撃戦が展開された。ライフル魔が制圧されるまでに、警官一人を含め四人が重傷を負い、犯人も右肩を撃ち抜かれた。
 午後四時。江東区南砂の住宅街でパトロール中の警官が、放火未遂の男を現行犯で逮捕した。
 男は近くに住む大学生で、木造アパートの周囲に灯油を撒き、チャッカマンで火を点ける直前で警官に発見されたのだった。

 こうして〈夢見〉が予言した四つの事件の犯人は逮捕された。
 そのうちの一人、お台場で猟銃を乱射した男は、銀行強盗として指名手配されていたことが判明した。ライトバンで寝起きしながら各地を転々としていたらしい。
 だが、南砂の放火未遂犯は大学生、歌舞伎町と東京ドームの二人は勤め人で、犯罪と関わりのなさそうな真面目な人物だった。
 四つの事件の犯人はいずれも逮捕の際、錯乱状態にあり激しく抵抗した。しかし十分ほど経つと、不意に魂が抜けたように大人しくなり、自分が起こした事件について全く憶えていなかった。
 さらにこの四人に共通しているのは、事件前日の夕方から夜にかけて現場近くの路上で、不思議な光を放つ小さな六角柱形の結晶のようなものを拾ったと主張していることだった。四人ともこの光る結晶を手にしてからの先の記憶が失われているのだった。
 そして捜査官が四人の事件までの足取りを調べに行ったところ、それぞれが前夜過した部屋や車の中は、床一面を無数の光る六角柱形の結晶に覆われているのが発見された。
 この光る結晶に関する調査はオリオンの科学分析班が担当することになった。
 翌朝、分析結果が届けられた作戦司令室にはオリオン特別捜査班のメンバーが集合していた。
 オリオン(O.R.I.O.N.)、それはOutside Reactive Intercept Organization Network の略称で、異界よりの侵略から人類を防衛するための国際組織である。
 その日本支部は品川区天王洲に設立されている。
 いま、作戦司令室に集まっているのは指揮官の〈団長〉と〈護符〉〈電卓〉〈薬局〉〈風水〉〈司書〉の五人の隊員だった。あとは瞑想室にこもっている〈夢見〉を含めれば精鋭チームである特別捜査班の全員が揃うことになる。
 〈団長〉が言った。「歌舞伎町で刺された女性、それにお台場の銃撃事件の被害者も皆、一命は取り留めたようだ。つまり幸いにも昨日の事件で死者は出なかったわけだが、しかし、次にいつ同じような事件が繰り返されないとも限らない。そうなればどれだけ被害が出ることか。それを考えれば一刻も早く、われわれは原因を究明しなければならない。目下、その原因と見られているのが例の結晶だが、それについての報告を〈薬局〉から」
 化学の専門家である〈薬局〉がディスプレイのスイッチを入れると、結晶の立体映像が浮かび上がった。
「これが事件を起こした四人が前日に路上で拾ったと証言している結晶です」
 それは、先の尖った六角柱型で青く輝いていた。光は不定のリズムで明滅しながら様々に色を変えていた。
「おおよその大きさは直径一センチ、長さ三センチほどで、まあちびた鉛筆ぐらいのものですが、これが徐々に大きくなっていて一時間ほどで二倍の大きさに成長します」
「一時間で倍といったらかなりのスピードだな」と〈護符〉が言った。。
「ええ、通常の鉱物では考えられませんね。最大で直径五センチ、長さ十五センチぐらいまで成長するのですが、そうなると小さな破片に分裂して、それぞれがまた成長をはじめます」
「それで部屋中が結晶で覆われてたってわけか」と〈護符〉。
「これがその部屋の映像です」
 〈薬局〉の操作で、三つの部屋とお台場の犯人の車の中の様子が映し出された。どれも異様な光に包まれている。
「謎の発狂石か……」と〈電卓〉がつぶやいた。
「まるでバラードの『結晶世界』ね」と〈司書〉が言った。
「次に事件の現場について〈風水〉が報告する」
「はい」地理学の専門家〈風水〉が立ち上がると、スクリーンを平面表示に切り替え、東京二十三区の地図を表示した。
「まず、事件のあった四ヶ所を表示します。東京ドーム前、新宿歌舞伎町、お台場海浜公園、そして江東区南砂。すると御覧のように東京の中心部を北西から南東にかけていびつな四角形で囲う形になります」
「ふむ、東京ドーム、歌舞伎町、お台場、この三つは人の集まる行楽地と言えるが、南砂だけ異質だな。ただの住宅街だろう」と〈薬局〉が訊ねた。
「そうですね。この四つの現場の関連についてですが、四人が結晶を拾った場所を見てください。東京ドームの男性は小石川の植物園付近。歌舞伎町の女性は中野区弥生町。お台場の逃亡犯はテレコムセンター付近。南砂の大学生は荒川の河口付近で問題の結晶を拾ったと証言しています」
 それぞれの場所が地図に表示されると、その四点を結ぶ線は、ほぼ正確に長方形を描いた。
「このような形になるということは、誰かが意図的に配置した可能性が高くなるわけですが……」
「しかし、一体なにが目的で?」と〈薬局〉は考えを口にした。
「何か、呪術と関係があるのか、どう思う〈護符〉さん?」〈風水〉は呪術の専門家〈護符〉に訊ねた。
「いや、これだけじゃなんとも言えんね。正方形じゃないのが気になるところだが。魔道書に何か書いてないかね〈司書〉?」と〈護符〉は書誌学の専門家〈司書〉に訊ねた。
「ううん……魔道書じゃないけど四角形の殺人現場といえばボルヘスの「死とコンパス」って短編があるわね。あと、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』でもボヘミア領を囲う矩形の四地点で死体の発光現象が起こったという事件に触れられているけど、どちらも今回の件とは結びつきそうもないわね。長方形ということは縦横の比に何かあるんじゃないかしら。〈電卓〉の専門ね」
 数秘学の専門家〈電卓〉が答えた。「縦横の比かあ。この感じだと1対1.6か1.7ぐらいかな。1.6なら黄金比に近いけど……、計算してみると1.73ぐらいだな……三平方の定理に関係があるのか、いや、待てよ……ということは……」〈電卓〉は手元のキーボードを操作しはじめた。「見てください。四つの事件現場を結ぶ長方形は、縦横の比が1対√3だったんです。だとすると上下に一つづつ点を足せば正六角形を描くことができます」地図上に新たな点が書き加えられた。「すると、まず北東の点ですが、これが墨田区の東京スカイツリーにぴったり重なります」
「スカイツリーか。あそこも人の集まる行楽地だな」と〈薬局〉感想を述べた。
「だが、事件があったという報告はないな」と〈風水〉。「これから起こるのか……で、六角形のもう一点は?」
「南西側ですね。これは目黒区と品川区の境界で、〈林試の森〉という公園の近く。この辺は住宅街ですね。この公園もほとんど森で人の集まる場所ではないようですが」
「この図形……六芒星ではないのか?」と〈護符〉は疑義を呈した。
「そりゃ、頂点の位置は同じだから……」と〈司書〉が応じた。
「ああ今、地図を拡大して正確な位置を調べたんですが、するとちょうど南西側の頂点に当たるところに妙な建物が」
「何だ?」
「イシオカ・フリーエネルギー研究所……私設の研究所のようですね」
「フリーエネルギーだって!? それは怪しげだな」と〈薬局〉。
「データがありました。所有者は石岡常宙、四十一歳……この男、五年ほど前にフリーエネルギー詐欺で逮捕されてますね」
「詐欺で挙げられたやつが何で堂々と研究所なんか構えてるんだ?」と〈護符〉。
「まあ、他人に出資をさせなければ、何を研究しようと自由ですからね。現在はフリーエネルギーに関する解説本を書いて、これがけっこう売れてるようです」
「ううん、ますます怪しい」
「ふむ」それまで黙って隊員たちの議論を聞いていた〈団長〉が口を開いた。「昨夜事件を起こした四人の人物が謎の結晶を拾った地点を結ぶと長方形となり、その四点を正六角形の中の四点と考えると、新たに二点が導き出せる。その一方は東京スカイツリーに位置し、もう一方の位置には怪しげな研究所があったというわけか。これは調べてみる必要がありそうだな……。よし、〈風水〉と〈司書〉は東京スカイツリーへ、〈護符〉と〈薬局〉はフリーエネルギー研究所へそれぞれ調査に行ってくれ。〈電卓〉はバックアップのため本部で待機だ」
「了解!」と隊員たちは口をそろえた。

 調査を命じられた四人はエレベーターから地下駐車場へ出た。二組に別れそれぞれの車に向かう。いずれもプリウスをベースにした特別改造車である。
 乗り込む直前、〈司書〉が言った。「よく気をつけてよ、罠かもしれないから」
「罠?」〈薬局〉が聞き返した。
「六角形か六芒星か知らないけど、まだ事件の起こってない二点は、私たちをおびき寄せるためかもしれないってこと」
「んんメトロン星人みたいなやつが待ち構えてるのか」
「何なの、それは?」
「いや、まあ、そっちも気をつけて」
 二台の改造プリウスはハイブリット車特有の静けさで地上へ出ると、南北へと分かれた。
 南へ向かった〈護符〉と〈薬局〉のチームは、すぐに山手通りに沿って西へと方向を変えた。イシオカ・フリーエネルギー研究所の所在地である目黒区下目黒は、天王洲からはちょうど品川区を横断した反対側に位置した。
 運転しながら〈護符〉が言った。「石岡ってやつ、おれたちが着いたころには殺されてるかも知れんな」
「どうしてです?」
「犯人の狙いは、はじめから石岡を殺害することなんだ。だが、被害者が一人では動機の面からすぐに犯人が特定されてしまう。そこで同時多発的に大量殺人を起こして真の動機をカモフラージュしようとした」
「でも他の現場で死者は出なかったんですよ」
「ああ、他の現場の犯人は、あの光る結晶で操られていただけだからな。明確な殺意を持っていたわけじゃない。だからもし石岡が殺されていれば、それが犯人の本当の目的だったとわかるわけだ」
「で、その動機というのは?」
「それはまあ、あれだ、そうフリーエネルギー詐欺で大金を失ったとか」
「光る結晶はどうやって手に入れたんです?」
「それはそっちの専門じゃないか〈薬局〉。あれは一体何なんだ?」
「そうですね、ある種の薬物によって人を凶暴化させることはできるかもしれない。問題はあの結晶が増殖する速度ですよ。あんな勢いで増殖する結晶なんて科学的には考えられない」
「じゃあ?」
「宇宙から飛来した未知の物質か、さもなくば魔術ですよ」
「魔術か……、魔術だとしたら、被害はまだ増えるかもしれんぞ」
「ええ、そんな気がします」
 イシオカ・フリーエネルギー研究所は円柱形の二階建で、閑静な住宅街の中にあった。外壁はガラス張りで内部には緑の植物で覆われているのが見えた。
 入り口でインターフォンを押すと男がドアを開けた。
 それは四十前後と思われる外見で、髪は几帳面にきっちり七三に分けていて銀縁の眼鏡をかけていた。服装は薄いグレーのスーツに白いシャツでネクタイだけがいやに鮮やかなグリーンだった。
「何か?」
「われわれは国際調査機関オリオンの者ですが、こちらで行なわれているの研究について伺いたいことがあります」〈護符〉が身分証を示しながら言った。
「はあ、とりあえず、中へどうぞ」
 〈護符〉と〈薬局〉は研究所の中へ入った。
 そこはまるで植物園のようにさまざまな草木が生い茂っていて、環境音楽が低く流れていた。天井からはプロペラ型の扇風機が垂れ下がってゆっくり回転していた。
「あなたが石岡常宙さんですか?」〈薬局〉が尋ねた。
「そうです」
「ここではどんな研究を」
「フリーエネルギー――つまり完全にクリーンで無限に使えるエネルギーのことです。これが実現すれば、われわれは地球環境の破壊を気にせずに、今の文明を維持し、さらに発展させることができるようになるでしょう」
「それは……永久機関のようなものですか?」
「そう言うこともできます。ですが正統的な科学者は皆、永久機関は存在しないと言いますね」
「ええ、そうですね」
「しかし、永久機関の“永久”とは何を意味するのでしょうか? この宇宙もいつかは終わります。宇宙そのものが消滅した後も作動し続ける装置を想像することなどナンセンスでしかないでしょう。宇宙にも寿命がある。私は《宇宙の死》を認めます。ですが同時にそれは、死へ向かう《宇宙の生》を認めることにもなるでしょう。生とはエネルギーのことです。この宇宙の生がつづく限り持続するエネルギー、それを取り出すことが可能なら……それこそがフリーエネルギーと呼ばれることになるでしょう。永久機関と呼ぶならそれでもいい。この宇宙が存続するかぎり永久という意味で」
「ふむ、なるほど」
「研究所の中を一通り見せてもらっていいですか?」〈護符〉が聞いた。
「ええ、どうぞ。ではまず屋上へご案内しましょう。太陽電池が設置されています。これを改良して将来は宇宙線をエネルギーに変換する計画なのです」
 石岡は二人のオリオン隊員を案内して階段を昇って行った。
 屋上は一面に太陽電池、二階は研究施設と住居スペースだった。石岡には家族もなく、助手もおかずに一人で生活し研究をつづけているのだった。とは言え、見たところ犯罪に関わっている様子はなかった。
 二人は研究所をあとにし車に戻った。〈護符〉が本部に連絡を入れた。
「こちら〈護符〉。石岡の研究所を一通り見せてもらいましたが、怪しげなところはありませんね」
 〈団長〉が応えた。「ではいったん戻ってくれ。スカイツリーのほうでは異変があった」
「殺人ですか?」
「いや、例の結晶が発見されたんだが、その場所が何しろスカイツリーの最上部のアンテナの上だからな、人的被害はなかった」
「そうですか。じゃあ、帰投します」

 〈護符〉と〈薬局〉が本部に戻ったとき、〈風水〉と〈司書〉はまだスカイツリーにいた。頭頂部で発見された結晶は増殖しながら飛び散っていて、小さな結晶がスカイツリー全体を覆うように付着していた。その除去作業を監督する必要があったのだ。作業員が精神に異常をきたす可能性も考慮したためである。
「スカイツリーでも結晶が発見されたとなると〈電卓〉の発案した六角形説は信憑性が増したな」〈団長〉が言った。
「しかしすると石岡の研究所で異常がないのはどういうことなのか」と〈電卓〉。
「どうなんだ〈護符〉〈薬局〉本当に何もなかったのか?」
 〈薬局〉と顔を見合わせてから〈護符〉が口を開いた。「ええ、とくに怪しい所は……」
 つづけて〈薬局〉が言った。「やっていることといえば太陽電池で扇風機なんかを動かしてるぐらいで、あれがフリーエネルギーと言うならまあそうも言えるでしょうけど」
「ふむ、しばらく監視をつづけるしかないか……」と〈団長〉。
 その時、スカイツリーにいる〈司書〉から連絡が入った。司令室のモニターに〈司書〉の顔が映し出される。
「石岡の研究所では異常がなかったってことですけど、私こっちの現場を見て思いついたことがあるんです」
「何だ、言ってみろ」〈団長〉が応答した。
「ここで結晶が見つかったのはツリーの最上部、地上634メートルの場所です」
「うむ、それで」
「結晶が最初に現われたのは六角形の中の四点で、第五の地点でも発見された。そして結晶自体の断面も六角形……、これはプリゴジンの言う散逸構造と関係があるのでは」
「何だそれは?」
「つまり配置が対称的ってことです。そしてこの対称性を垂直方向にも適用して考えるならば、第五の地点が地上634メートルに位置するわけですから、第六の地点は反対に地下634メートルを探さなければならないのではないでしょうか」
「なるほど地下か」
「しかし634メートルとなると相当だな」〈電卓〉が言った。
「石岡のところに地下室はあったか?」〈団長〉が〈護符〉に尋ねた。
「いや、地下へ行く階段などはありませんでしたが、しかし秘密の通路なんかがないとは言いきれませんね」
「よし、もう一度行って、その点を確認してくれ」

 〈護符〉と〈薬局〉は再度、改造プリウスに乗り込み下目黒の研究所を目指した。
「しかし、ありますかねえ、秘密の地下室なんか」〈薬局〉が言った。
「さあな、六角形説が正しいなら何かしらあるんだろうが」と〈護符〉。
「それも六百何メートルかの地下だってんでしょう」
「634メートルだ。スカイツリーは東京周辺の昔の地名“武蔵”にちなんで高さ634メートルに設計されてる」
「へえ」
 研究所に着いた。
 二人は地下での活動も考慮して特殊戦用のヘルメットを手にして車を降りた。このヘルメットにはライトやガスマスク、無線機などが内蔵されている高機能装備である。
 インターフォンを押すが、いつまで待っても応答がない。
「出かけたのかなあ」と〈薬局〉はドアに手をかけたが、鍵がかかっていて開かなかった。
 ガラスの壁越しに中を覗いて見ても、緑の植え込みの上でプロペラ型の扇風機がゆっくり回転しているだけで人の気配はなかった。
「本部に連絡しておこう」〈護符〉がスマートフォンの回線をつないだ。「こちら〈護符〉です。石岡の研究所に来ましたが、留守のようなんですが?」
 〈団長〉が応えた。「緊急事態だ。ドアを破ってでも侵入しろ」
「何かありましたか?」
「ああ、スカイツリーの方な。結晶の増殖が思ったよりも早くて、このままだと数時間後にはツリー全体が結晶で覆われてしまう勢いだ。そっちの地下で何かコントロールしている可能性もある。よく調べてくれ」
「了解」
「スカイツリーが結晶で覆われるって……」〈薬局〉が言った。
「そうなったら、あの光を何万もの人間が目にすることになるな」
「まさかそれが全部、殺人狂に!?」
「とにかく中を調べなければ。レーザーで焼き切ろう」
 〈護符〉はホルスターからオリオン・ガンを抜くと、円錐型の銃身の先をドアのロック部分に向けた。ヘルメットの遮光バイザーを下ろしてトリガーを引いた。
 閃光とともに火花が上りすぐにドア内部の閂は切断された。ドアが開いた。
「行こう」
 〈護符〉と〈薬局〉は研究所の内部へ踏み込んだ。
「床を調べるんだ」
 二人は手分けして床面を見て回った。
 一階の内部は植物の植え込みが迷路のように配置されていた。
「来てください」〈薬局〉が声を上げた。
 〈護符〉が近づいて行くと、〈薬局〉は植物に囲われた一角を指差していた。その床面には点検口のような取っ手の着いたプレートがあった。
「開けてみよう」二つある取っ手をそれぞれ持ってプレートを開いた。
 地下の暗闇へとつづく隧道が口を開けた。コンクリートの壁面にはコの字型の金具が埋め込まれ梯子のようになっている。
「やっぱり地下があったんだ」
 ヘルメットのライトを点けて二人は梯子を降りた。数メートル下ると地下室に着いた。そこはポンプなどの置かれた普通の機械室のようだった。だが、よく見ると奥の壁にドアがあった。
 ドアを開けると別の部屋に通じていた。
「これは……!?」
 ライトに照らされた壁面は本棚になっていて、古びた厚みのある書物が並べられていた。大半は外国語のタイトルが記されていた。
 部屋の中央にはガラスのショーケースが置かれていた。
 〈護符〉がスイッチを見つけ照明を点けた。
 〈薬局〉がショーケースに歩み寄った。そこに収められているのは『ウイアード・テールズ』や『アメイジング・ストーリーズ』といったパルプ・マガジンのコレクションだった。中にはページがばらばらになった雑誌もあり、短編一作分が一ページづつ展示されていた。タイトルを見ると「魔の谷にて」という小説で作者名はデレク・ダークランドとなっていた。
 本棚の方を見ていた〈護符〉が声を上げた。「おい、ここの本を見てみろ」
「何です?」〈薬局〉がそちらへ近づいた。
 そこに並べられていたのは、アブドゥル・アルハザードによって記された『ネクロノミコン』、フォン・ユンツト著『無名祭祀書』、ダレット伯爵の手による『屍食教典儀』、ルドウィク・プリンが書いた『妖蛆の秘密』、作者不詳の『水神クタアト』……といった魔道書の数々だった。
「これは本格的なアレですな」
「ああ、例のタイプの蔵書だ。本部に連絡しておこう」
 〈護符〉は無線機を作動させた。「こちら〈護符〉。石岡の研究所の地下でコード・セラエノ発生、レベル2です。対応をお願いします」
「こちら本部」〈団長〉が返信した。「了解した。処理班を向かわせる。石岡は見つかったか?」
「まだです。捜索を続行します」
「敵は只者じゃないぞ。気をつけてくれ」
「了解」
 本棚を調べると、一部が動かせるようになっていることがわかった。その後ろにはエレベーターの入り口があった。
 ボタンを押すとドアが開いた。二人が乗り込むとゴンドラは降下をはじめた。
「ずいぶん下りますね」
「こりゃ、本当に地下634メートルまで行くのかもしれんぞ」
「まずいな、無線が通じなくなる」
 しばらくするとゴンドラは停止しドアが開いた。
 前方は土が剥き出しの洞窟だった。洞窟の中の通路は緩やかにカーブしながら、さらに地下深くへと降っていた。
 二人はオリオン・ガンを手に、ヘルメットのライトで周囲を照らしながら慎重に歩みを進めていった。
 道は一本だが、壁のところどころに小さな抜け穴が穿たれていた。
「あぁっ!」後ろを歩いていた〈薬局〉が声を上げた。
「どうした?」〈護符〉が振り返って訊いた。
「い、い、今、そ、そこの穴から、何かが、こっちを見ていました……」
「何だ、蝙蝠じゃないのか?」
「いや、もっと大きな、狼のような顔でした」
「狼のような……?」
 その時、通路の前方からひたひたという足音のようなものが聞こえてきた。
「何かが近づいて来る!?」
「シッ、後ろからも来るぞ」
「は、挟まれた……」
 二人が首を振るのにあわせてヘルメットから照らされる光の輪が土の壁の上を動き回った。
 一瞬、奇怪なシルエットが浮かび上がった。それは人間に似ているが、背は曲がり、長い両手を地面に垂らしながら走る、狼のような頭部をもつ怪物の姿だった。
「あっ、あれは!」
「グールだ! 食屍鬼だ!」
 前後から同時に二体づつのグールが襲いかかってきた。
 二人はオリオン・ガンを発射した。ビビビと音を立てて稲妻状の閃光が走る。
 グールの一体が倒れ、他の三体は逃げ去った。
 オリオン・ガンは非殺傷のスタン・モードに設定されていた。本部の許可がなければ隊員は殺傷兵器を使えないことになっているためだ。もっとも、下級のアンデット・モンスターである食屍鬼にスタン・ガンがどんな効果を与えているのか、よくわからなかったが。
 ともかく〈護符〉と〈薬局〉は前方へ進むことにした。つまりさらに地下深くへと。
 逃げ去った三体のグールは一定の距離を置きながら彼らを追尾しているようで、時おりハイエナのような陰湿な忍び笑いが聞こえてきた。
 それでも気にせずしばらく進むと前方に奇妙な光が見えてきた。
「何でしょう、あれは?」
 それは異様な光だった。まるでオーロラのように波打ちながら様々に色を変えていた。
「あの輝き……、例の結晶の光じゃないか!?」
「そ、そう言えばそうですね」
 二人は乱舞する光の中へ慎重に歩みを進めていった。
 やがて広い空間へ出た。そこは周囲の壁一面が、大小さまざまな先の尖った六角柱型の光る結晶で覆われていた。
 結晶の光を背に一人の男が立っていた。
「よくここまで来たな、オリオン隊員のお二人」そう言ったのは、石岡常宙だった。
「これは一体何だ?」〈護符〉が問い質した。
「ふふ、これが何か知りたいか。よかろう。これはちょっとした、まあ儀式といったものでね」
「儀式だと……。貴様、何を企んでいる!?」
「この儀式が完成した暁には、私は旧支配者の従者に加わることになるのだ」
「き、旧……支配者……」
「その通り、あれを見たまえ」石岡は右手で壁を示した。
 そこはよく見ると、結晶で覆われた壁の一部に窪みがあって、その奥に何か巨大な物体が横たわっているのだった。それは体長十メートルはあろうかというナメクジのような怪物だった。口と思われるあたりからは無数の触手が生えていた。
「あれは……!?」
「あっ、あっ、あれは、ク、ク、クトーニアンですよ」と〈薬局〉がどもりながら怪物の名を告げた。
「そう、さすがはオリオンの隊員よくご存知だ。クトーニアン。こいつを成長させるために、大量の生贄の血が必要でね」
「生贄の血……、それでスカイツリーをあの結晶で……、すべて貴様が仕組んだことか?」
「その通り、この場所から正六角形を描いて結晶生成のエネルギーを送っていたのだ。途中、六角形の四つの頂点にあたる場所でも、小さな結晶が生じ、それが原因で先に小規模な無差別殺傷事件が発生したのは、ちょっとした誤算だったがな。だが大勢に影響があるわけでもない」
「いや、それがお前の命取りだ。その四つの事件がわれわれをここへ招き寄せたのだからな」
「ふん、無駄だ。お前たちには何もできまい。もう間もなくスカイツリーは完全に結晶で覆われ、強力な光を発することになるのだからな。そうなれば、地上は何万という殺人狂であふれかえることになるのだ!」
「そうはいくか!」
 二つのオリオン・ガンが同時に光を発した。閃光が狂った科学者の胸に命中した。
 だが、石岡は平然としていた。「ハッハッハッ、無駄だ無駄だ。私の身体は魔術により強化されている。スタン・ガンなど無力に等しいのだ。お前たちはグールのエサになるがいい」
 いつの間にか彼らの周囲は十数体のよだれを垂らした食屍鬼によって取り囲まれていた。
「くそっ……」
 その時、〈護符〉と〈薬局〉二人の頭の中に澄んだ声が響き渡った。
「〈護符〉さん、〈薬局〉さん、こちら〈夢見〉です……」
 それは〈夢見〉からのテレパシーによる通信だった。「ダブルオー・クライシスが発令されました。殺傷兵器の使用を許可します。くりかえします。ダブルオー・クライシス発令、殺傷兵器の使用を許可します」
 《ダブルオー・クライシス》とは、"Old One Crisis"の略称で、即ち旧支配者復活に関わる危機を意味した。これが発令されるとオリオン隊員は、あらゆる障害を排して当該危機の解消を最優先に行動しなければならなかった。それは事実上、殺人許可証の発行をも意味した。
 〈護符〉と〈薬局〉は顔を見合わせると黙って肯きあった。そしてオリオン・ガンのレバーを操作しリーサル・モードにあわせると、銃身を石岡へ向けた。
「無駄だ、銃でこの私は倒せんぞ!」
 二条の閃光が石岡の胸を貫いた。
「う、ぐぐ、莫迦な……」石岡はもがきながら倒れた。オリオンの超科学が石岡の魔術に勝ったのだ。
 グールたちは首領が倒されたのを見ると、あっという間に逃げ去った。
 倒れた石岡の身体は炎を上げ燃えはじめた。
 絶命する寸前、石岡は最後の力で叫んだ。「クトーニアンよ……、目覚めよ。地上へ……地上へ行け……」
 その声にナメクジ型の怪物が反応した。巨大な身体を震わせながら触手を蠢かしはじめた。
「ま、まずい……」
 クトーニアンは頭部を土の天井に向けると、無数の触手をものすごいスピードで動かしはじめた。地を穿つ魔が地表を目指し上昇していった。
 洞窟は地震のように揺れだした。
「うわっ、崩れるぞっ」
 二人のオリオン隊員は、大量に降り注ぐ土の下でなすすべもなく頭を抱えた。

「〈護符〉さん、〈薬局〉さん、聞こえますか?」
 揺れが治まってしばらくすると、二人の頭の中にふたたび〈夢見〉のテレパシーが届いた。
 〈護符〉は全身に土をかぶって地下の通路に倒れていたが、どうやら生き埋めになるのは免れたようだ。〈薬局〉も身体を起こし始めたのを確認して彼はテレパシーに応えた。
「ああ、二人とも無事だ。地上の様子は?」
「クトーニアンは地表に出る寸前で、《オリオンの盾》の力で制圧されました。これから封印にはいるところです。スカイツリーのほうも、結晶で覆われはしたものの光は発していません」
「じゃあ、どうやら事件は片付いたようですね」
「ああ、まったく寿命が縮んだぜ」
 二人はおたがいの背を叩いて、笑いながらその場に倒れた。

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